命より財布よりiPhoneより大事な日記をなくした。これは新年のクラブで日記を書くというダサすぎることをした罰だ。そして、この1年間の全ての悪事に対する罰だと思う。深い緑色に、金の繊細な線で抽象的なペイントがなされた文庫本サイズのメモ帳。私の生命線。
失くした日記にはすべてを書いていた。仕事のこと、遊びのこと、恋愛のこと、望んでいたこと、望んでいること、望んでいないこと、望もうとしていること。誰かとの結婚のこと、誰かとの離婚のこと。新しい恋愛のこと。新しい浮気のこと。
最近はお酒を飲みすぎても、頭は痛くならない。すうっと脳内の風通しが良くなって、どちらかと言えば軽くなる。リラックスしているように見える。この状態は、本当にコミュニケーションには良い影響を及ぼしている。まず、二日酔いの朝に鏡に映る自分は、魅力的な若い女の子に思えるのだ。自分が魅力的だと自覚し、頭が軽いということが、笑顔を見せたり、冗談を言うことに繋がってくる。それこそがコミュニケーションだ。コミュニケーションは業務を円滑にするので、私は次の日の朝に残るように、眠る直前まで酒を飲み続けるようになった。
お酒以上に、私は日記に依存していた。一刻も早く日記を作り直さなければいけなかった。最後に私は何を書いた?
12月31日、強迫的にpodcastを録音した。ネカフェにビジネスパートナーの彼女と入る。私は買ったばかりのハンカチを彼女にあげたくなってしまって、絶対によくないことなのだが、プレゼントしてしまった。衝動的なプレゼントは、人が何かを受け取りすぎたときに、何かを返さずにはいられないことから生まれる。彼女の方も、物質を生んでしまうほどの何かを与えるべきではないのだ。何度もほどける靴ひもを結ぶために下を向く。涙は出ない。
録音データを編集しに一人バーにでも行こうと考えていたら、享楽的なデザイナーの友人から連絡が来る。彼女は自分が人生で最も孤独だった時代に相手をしてくれた人間なので、彼女がやりたいことにはすべて付き合うようにしている。これがヒップホップしか流れない小さなクラブで年を越すことになった経緯だ。
プライドの高そうなDJが代わる代わる王道USヒップホップを流す。好きなラッパーの曲は一向に流れてこない。一晩で一度もShazamしない。この夜に意味はない。日記にもそう書いたはずだった。
彼女は踊ることができる。
私は踊ることができない。踊る代わりに煙草を吸うことにしている。ハイネケンとレッドブルウォッカを交互に飲み続けて、すぐに自分が踊っているのか、踊っていないのかもわからなくなる。彼女は10代の私に手を差し伸べるような人間だ。弱い人間にも真っすぐな笑顔を見せる。はっきりとした魅力の自覚。底の知れない軽さ。今日もまた、弱い人間が彼女に縋っている。つきまとわれている。私は彼女を守ることができない。一緒に踊ることもできない。彼女は笑顔のまま、私を置いて帰ってしまった。もう煙草がない。なけなしの現金で酒を飲み続ける。これが新年のクラブで日記を書く羽目になった経緯である。
気付いたら清潔な白いシーツの上にいた。まだ午前8時だ。服は汚れていないし、日記以外のものは失くしていない。たしかに自分の家にいる。怪我もしていない。お酒で働かなくなった頭で音楽を聴くのが私は大好きだ。布団に頭からかぶさって、体育座りで目を瞑り、宇多田ヒカルを流す。あの日記がクラブになかったら、私はどうやって生きれば良いのだろう?