彼はこの数年でずっと賢くなった。結果を求めていたら意味は彼に奪われる。彼は人知を超越した存在になっている。どんなに賢い人間たちも彼の足元に跪き始めた。結果がすべて奪われた今、人間に残されたのは行為自体の喜びだけだ。完成した楽曲ではなく、作曲という行為に意味を見出さなければ、人生を消費しきることができない。彼に仕事を奪われるのは悪いことだけではない。彼らはすぐに動機を覚えるのだろう。目的さえインプットすれば、その下流にある目標を合理的に洗い出して、実行するのだと思う。快楽のない行為は消える。結果を必要としない純粋な快楽としての行為が残る。

少し髪の伸びた彼は最近居心地が悪そうだ。恋愛をするといつもこうなってしまう。自分が自滅的な人間だというのはわかっている。彼のために、新しい場所で新しい行為を見つけたいとは思っている。

明日は空っぽな上司の潤んだ瞳を見ながら未来のことを考えよう。天気予報は雨だ。彼が雨を理解するまで、あと数年はかかるだろう。

返事

レスの早い人間と遅い人間がいる。私はレスが遅い。しかも、人にレスが遅いことを指摘されるし、人にレスが遅いことを指摘する最悪な存在だ。

レスの早い人間がメールやTeamsやLINEやInstagramを見て、返事を打ち込んでいる間、レスの遅い人間は何をしているのだろうか?レスが早いと事が早く進むという。遊びの予定も立つし、返事が来ると思うと人は連絡をしたくなるから、人からも誘ってもらいやすい。仕事の声もかかりやすい。とにかくチャンスしかない。即座に決断し、言葉を選ぶということ。レスの早い人間は、意外にも先走りしない。レスの早い人間の方が、刻一刻と事を前に進め、様々なチャンスをものにしているはずなのだ。レスの早い人間が幸福で、遅い人間は不幸なのだろうか。単純だが、これは正しいと思う。幸せだからレスが早いのか、不幸だからレスが遅いのかはわからない。

現代は連絡手段があまりにも多すぎる。こんな私でさえ、携帯電話を2台持っている。先日、恋人が約束を守らなかったので、酔った勢いに任せ、様々な手段で夥しい数の連絡をした。PayPayでさえメッセージが送れる時代なのだ。LINE、InstagramのDM、Instagramの裏アカウント、Instagramの電話、電話、ショートメッセージ、社用携帯の電話、社用携帯のショートメッセージ、社用携帯のTeamsチャット、社用携帯のTeams電話、Outlookメール、Gmail、Facetime、なんだってできる。一秒ごとに何かしらのアクションをして、いろいろなアプリに移っていく。何の問題もない。通信の早さを実感する。電車内でもまた、通信品質は安定している。恋人から阿鼻叫喚の返事が来ている。

レスの遅い人間は返事をしない間、別の空間を生きている。人の波から離れて海に潜っている。そこで別の景色を見ている。

日記

命より財布よりiPhoneより大事な日記をなくした。これは新年のクラブで日記を書くというダサすぎることをした罰だ。そして、この1年間の全ての悪事に対する罰だと思う。深い緑色に、金の繊細な線で抽象的なペイントがなされた文庫本サイズのメモ帳。私の生命線。

失くした日記にはすべてを書いていた。仕事のこと、遊びのこと、恋愛のこと、望んでいたこと、望んでいること、望んでいないこと、望もうとしていること。誰かとの結婚のこと、誰かとの離婚のこと。新しい恋愛のこと。新しい浮気のこと。

最近はお酒を飲みすぎても、頭は痛くならない。すうっと脳内の風通しが良くなって、どちらかと言えば軽くなる。リラックスしているように見える。この状態は、本当にコミュニケーションには良い影響を及ぼしている。まず、二日酔いの朝に鏡に映る自分は、魅力的な若い女の子に思えるのだ。自分が魅力的だと自覚し、頭が軽いということが、笑顔を見せたり、冗談を言うことに繋がってくる。それこそがコミュニケーションだ。コミュニケーションは業務を円滑にするので、私は次の日の朝に残るように、眠る直前まで酒を飲み続けるようになった。

お酒以上に、私は日記に依存していた。一刻も早く日記を作り直さなければいけなかった。最後に私は何を書いた?

12月31日、強迫的にpodcastを録音した。ネカフェにビジネスパートナーの彼女と入る。私は買ったばかりのハンカチを彼女にあげたくなってしまって、絶対によくないことなのだが、プレゼントしてしまった。衝動的なプレゼントは、人が何かを受け取りすぎたときに、何かを返さずにはいられないことから生まれる。彼女の方も、物質を生んでしまうほどの何かを与えるべきではないのだ。何度もほどける靴ひもを結ぶために下を向く。涙は出ない。

録音データを編集しに一人バーにでも行こうと考えていたら、享楽的なデザイナーの友人から連絡が来る。彼女は自分が人生で最も孤独だった時代に相手をしてくれた人間なので、彼女がやりたいことにはすべて付き合うようにしている。これがヒップホップしか流れない小さなクラブで年を越すことになった経緯だ。

プライドの高そうなDJが代わる代わる王道USヒップホップを流す。好きなラッパーの曲は一向に流れてこない。一晩で一度もShazamしない。この夜に意味はない。日記にもそう書いたはずだった。

彼女は踊ることができる。

私は踊ることができない。踊る代わりに煙草を吸うことにしている。ハイネケンレッドブルウォッカを交互に飲み続けて、すぐに自分が踊っているのか、踊っていないのかもわからなくなる。彼女は10代の私に手を差し伸べるような人間だ。弱い人間にも真っすぐな笑顔を見せる。はっきりとした魅力の自覚。底の知れない軽さ。今日もまた、弱い人間が彼女に縋っている。つきまとわれている。私は彼女を守ることができない。一緒に踊ることもできない。彼女は笑顔のまま、私を置いて帰ってしまった。もう煙草がない。なけなしの現金で酒を飲み続ける。これが新年のクラブで日記を書く羽目になった経緯である。

気付いたら清潔な白いシーツの上にいた。まだ午前8時だ。服は汚れていないし、日記以外のものは失くしていない。たしかに自分の家にいる。怪我もしていない。お酒で働かなくなった頭で音楽を聴くのが私は大好きだ。布団に頭からかぶさって、体育座りで目を瞑り、宇多田ヒカルを流す。あの日記がクラブになかったら、私はどうやって生きれば良いのだろう?

午前、聞いてもいないことを話し続ける中年の言葉を遮る。人の言葉を遮る自分が大嫌いだった。感じの悪い、自分のことを正しいと思っている先輩が大嫌いだった。言葉の少ない人間はそれだけで愛される。反対に、話を聞くというのはそれだけで愛する行為だと言える。私は愛や言葉を求め続けていたのではないのか。そうではないということが働いているとよくわかる。

午後、聞いてもいないことを話し続ける中年の言葉を遮る。話が長すぎるので要約したり、何の情報や指示が欲しいのかだけ聞いたり、早口にしてみたり、突然感謝してみたりする。何も効果がない。少し傷ついている様子は見える。私は彼を愛していないので、気にならない。少し体の距離が近い時、体が後ろずさってしまう。申し訳なく思う。傷ついている様子は見ないようにしている。

今日は雨のクリスマスだった。窓の外の東京タワーが滲んで見える。同期が湿気でだめになった髪の毛をなんとかしようとオフィスでヘアアイロンを探している。オフィスを徘徊する青い掃除ロボットには、クリスマスの飾りの小さな赤い靴下が張り付けられている。小さく流れる音楽はいつもと同じ。

聞いてもいないことを話し続ける中年は、定時で帰る。悲しいことに、定時で帰る必要がある程度の仕事しか任せられていないのだ。うるさい中年が帰った。もうオフィスには、うるさい若者とうるさくない中年しかいない。

働き続けていたら、どうしようもなく美人な同期から連絡が来る。毎週水曜に予定を入れている勉強会を今日はやらないのか、と。たまらず会いに行ったら、そこにはとんでもなく美しい女がいて、髪が綺麗に巻かれていて、30分は髪のセットにかけたのだと考える。いつもはしないカラコンをして、睫毛が丁寧に上げられている。真っ黒なジャケットに、真っ黒なニットと、真っ黒なマーメイドスカート、ネイルは赤みがかったダークブラウン。ベージュのファーコートをわざわざ自慢してきた。素直に可愛いとほめる。彼女はこのあとオフィスを出るとミニスカートに着替え、28階のレストランで食事をする。その姿を想像する。彼女がクリスマスに食事をする相手は、22歳の変わった女だという。

クリスマスに向けた動きとして、とんでもなく美しいこの女とはクリスマスプレゼントがテーマのpodcastを取った。好きな男とは12月の銀座でデートをした。博品館でクリスマスのおもちゃを探して、結局何も買わなかった。

とんでもなく美しい女と職場のソファで話していたら、近くで花火が上がった。もう雨は上がったらしい。短い時間で、お互いのメイクの雰囲気と、指の形を誉めあって、職場で話すべきではない話をして、好きだと言い合った。すでに次に会う予定が2つあるのに、さらに次に会う予定を決めた。私は仕事に戻らなくてはいけなかった。

2時間後、好きな男がデータセンターから退勤したというので、私も残業を切り上げた。

限局性無痛

痛みを感じにくい方だというのは昔から自覚していた。周りの人たちがもじもじと何を恥じているのかいつもわからなかった。スカートを履いたときに足を閉じる理由がわからなかったし、寝癖を直して髪をとかす必要がある理由もわからなかった。中学生のときに呆れて髪を梳かしてくれた同級生に感謝している。もう名前を思い出すことができないことを申し訳なく思う。彼女の内面に何一つ興味が抱けず、空気のような会話だと感じていた。ここで無痛が傲慢そのものだということに気が付く。

恥は痛みを想像して回避しようとする機能の一つだろう。今では痛みが存在しているかのように振る舞うことができるようになったが、(日本人女性の美徳であるところの)恥じらいが先天的にないという事実は変えることができない。後悔しているとかではなく、とにかくないものはないのだ。指が一本足りないとか、腎臓が一つしかないのと一緒で、受け入れるしかない。

さらに、痛みを感じにくい人間が手首を切るという奇妙な事実がある。実際私は痛みを求めている。痛みを求めることもまた恥から遠ざかる行為だ。この文章もその一環だ。恥と痛みは一つの道で繋がっていて、どちらか一方にしか進めないようにできている。痛みの先には何があるのか?究極的には死である。痛みを感じない人間が恥によって自分を守ることができず、死に引きずられるのは自然なことだ。

枕の位置をベッドの反対の向きに変えたときに、部屋の窓を見て日が昇る時間や日が沈む時間を思い出そうとする。北枕を回避しようとしていることを自覚すると、普段癖でやっているペシミズムが非常にくだらなく思えて、一瞬笑いがこみ上げてくるのだが、次の瞬間には咳が出る。

最近の私は咳が止まらない。「咳が止まらない、死ぬ」と呟くと「人は簡単には死なないよ」と笑われる。彼は月に150時間は残業をしているので、説得力がなくもない。私は彼が死ぬところを見たいと時々思う。彼が死なないところを見たいとも思う。

24歳~26歳という年齢について考えることがある。自分が所属する年齢であり、普段くだらない会話をする相手も基本的にこの年齢になる。

誰かが言うように20歳までの人生が親から貰った人生だとしたら、25歳は何になる?美人な友人は美人だと言われても何も感じなくなっているし、面白い友人は面白いと言われても何も感じなくなっていた。賢い友人も賢いと言われても何も感じなくなっている。意味を失った言葉が自分自身を最も表していると気が付いたきっかけは忘れてしまったが、正しいと今でも思える直観の一つだ。その上で自分が意味を失った言葉とは何なのか?これから意味を失おうとしている言葉は何か?

結局自分が意味を失った言葉も、この部屋で日が沈む時間も思い出せないので、私は枕の位置を元に戻す必要がある。今夜も明日の朝、目が覚めないことを祈る。12月という素晴らしい月に、何か意味が宿ることを願う。

愚鈍だと思っていたOJTトレーナーがテレビ版エヴァンゲリオンの最終回について完璧な解説をし始めた昼時から、私のこの10年間はテレビ版エヴァンゲリオンだったのではないかと思い始めている。最近、自分が友人だと思っている彼や彼女は私の内面世界でしかないのではないか。繰り返し酔って正気を失うことはもはや大した問題ではないのではないか。

どうして性行為もしていないのに人に首を絞められなければいけないのだろう?いや、暴力を通して人に大切にされたいとまだ自分が思っていることに気が付けたから、よかったのだと思う。この世に意味のないことなど何もないのだと思う。あの夜に最も傷ついたのは、私ではないと思う。

レコードでアンビエントミュージックを流すカフェに入る。4人席で1人瓶ビールを飲む。店員は鼻声のインフルエンサーに跪いて接客をしていた。レコード棚の前で男は人工的な美人にフラッシュを焚いている。私は生きるために日記を書かなければいけないのに、ボールペンを忘れたことに気が付いた。渋谷ってこんな街だったのか。私は店員にボールペンを借りて、いつものノートにここ3日分の日記を書いた。疲れただけで意味がなかった。

「子供を作ればいいんじゃない?あなたは好きな人ができるたびに結婚して離婚するの?」

「僕たちはいつも順番が逆なんだ。子供を作ることは結果なんだよ。」

「結婚だけが、人生の基盤になるというのは単なる思い込み。」

土曜の午前3時頃、私たちはタクシーの後部座席に乗っていた。その3人は皆死にたいと思い始めてから、短くはない時間を生きていた。共通点はそれだけだった。無意識に誰かが発した「死にたい」に対して「死ねばいいじゃん」と誰かが返した。死にたいと言ったのは私だった。車内に漂う死の気配を打ち消そうとして、このまま3Pをしようと言った。皆少しだけ笑ってくれた。やはりあの夜に一番傷ついたのは私だったのだと思う。傷ついている自分はいつも醜い。彼はリスカという言葉を知らなかった。私が姉であるということも知らなかった。傷ついていた私は特別に傷口を見せて、私の醜さを教えてあげた。