花見

 人と桜を見た。いわゆる桜の名所と言われる場所でゆっくりと歩いた。井の頭公園。目黒川。隣にはいつも美しい女がいた。美しくて、冴えていて、芸術の素養があって、体の弱い女たち。儀式的に写真を撮る。慣れない一眼レフよりもiPhone13の方が上手く撮れる。カメラを持つのをやめようと思う。水面がちらちらと光っている様子が好きだ。木の枝が桜の花びらをせきとめる。頭を沈めて垂直になる鴨。散る花びらを追いかける子供。花を見ている間、話すことはあまりない。人混みの煩わしさと情景の美しさが交互に押し寄せる。花見に誘ったのは私だ。最近は季節の存在が面白い。一回性と周期性のつながりが感じられ、人生をいじらしく思うことができる。

 何人かの知り合いが彼氏と別れていた。愛し合っていた二人がそうでなくなり、離れることを選ぶ。人は空白を抱え出す。すべての関係性が、偶然の積み重ねの上に成り立っており、簡単な言葉の選択ですら絶対的な不可逆性を孕んでいる。また同じ景色を見ようとしてもそれは叶わない。

 「次、夏に会えるかな」と聞いたら、曖昧に微笑まれた。後ろの桜は夢のように明るい。その光に吸い込まれるようにして、抱えていた空白が息をし始める。