題名

 数日暖かい日が続いたが、また気温は下がった。帰り際、駅前広場の夜風はアンクルソックスが覆うことのできない足首を冷やした。空を見上げると、無意味にネオンがリングを駆けている。この広場が竣工したのは2019年だ。
 2019年頃からよく見かける、駅の住人。いつもは飲んだくれてうわ言を呟いているのだが、珍しく河出書房の文庫本を姿勢よく手にしている。驚き、目配せをするが、住人にとっては何十万人といる利用者の中の平凡な通行人にすぎない。皆が同じものを見ているが、皆互いのことは見ていない。

・できないことをできると言わない
 これが存外難しい。少なくとも、自己というフィクションを生きるのに必要な麻薬だ。できないことがしたい、それはなぜか?できると何が嬉しいのか。尊敬される、感謝される、承認の先に待つ谷底。社交、そして桁の定まった額のお金、消費。常日頃、報酬系が積んでいるエンジンの大きさを比べてみたりする。慎ましい女風呂で、胸の大きさ順に並んで髪を洗っている光景。彼のはなんてパワフルなんだろう。寝不足かコロナか二日酔いかわからない体調不良に、他人のエンジン音が耳に障るけれど、猥語をいくつか呟けば気は落ち着く。鏡でクマと肌荒れと浮腫んだ皮膚を見る。見せる相手がいないことに憩い、口をゆすぐ。

・答えを忘れるような質問 
 虚無に耐えかねて、質問をすることがある。幼稚園の頃、迎えのバスを待っている間に、オブジェの岩石を這う虫を執拗に観察していた。あの感じ。居合わせた人間と、世界線が何一つ交わらなかったとしても、手がかりを掴もうとする。しかし、質問の回答はおろか、質問したこと自体を忘れている。この行為を通して、当たり屋のような印象を持たれ続けてきた。
 周囲の若い人間は、みな美しく成長したように見える。