午前中はLINEで質問し合いながら経済学の課題をした。午後は生物学の課題。初めて図書館のPCコーナーを利用してみた。制限時間があるので集中できていいかも。どちらも理想の7割くらいの完成度での提出となった。うーん。

片方の講師の話は正直聞く価値がないと思う。資料に長方形すら挿入できていない…。そこには長方形ではなく、4本の線を手で回転させて繋げたような図形があった。このトピックに興味のある人はWikipediaを見よう、と発言する。この先生の教科書買わなくてよかった。あのような授業をする人間が大学教員として生計を立てられることに驚いている。

もう片方の講師のことは大好きだ。大好きな講師の方の課題も7割程度になってしまったのが悔やまれる。選択肢にあるトピックの中から3つ選び、自分で調べてレポートを書くようなタイプのものだったのだけど下調べのような実際に書き始める前の段階に時間を費やしすぎたしそれが最終的にレポートの質に反映されたとも思わない。広く情報を得ても時間もないしどうせ誠実なことは書けないのだから、内容を絞って綿密なものを書くべきだったな。無駄だったかも。

明日は遊ぶ予定。

若きウェルテルの悩みの解説とか評論がいろいろ読みたくて探したけれど案外なかった。エドワードゴーリーの絵本も読みたかったけどなかった。目当てのものがなかったとしても図書館は良い。訪れるたびまさに小宇宙と思う。

深夜に目が覚めた。

朝近所で散髪をした以外は、一日中家にいた。午前から夕方にかけてZOOM授業に出た。作図課題の講評と英語。普段は優秀作品ばかりが全体で取り上げられているのが、今回学科の全員のものが紹介されていて普段より面白かった。

秋学期の授業では顔を見ていなかった教授がゲストとして講評会に出ていた。この方は何者なのだろう。毎回聞いていて戸惑うほどきめ細やかな気遣いを学生に差し出してくる。それでいて神経質な印象もなく、不気味だ。基本的な思考力が高くて、私たちなんかとは比べ物にならないほど優秀なのだろうとは思うが、壁と卵で言うところの、壁が皮膚をまとって歩いているみたいなのだ。この人間について考えようとすると恐怖で胸が詰まる。もう私はこれ以上個人について考えるなよ。

授業がすべて終わったあと、一週間の休講を迎えた実感から浮ついた気分になり、遊ぶ計画について考え始めた。映画を見に行こうか?岩盤浴に行こうか?旅行をすべきか?どの展示を見るべきか?誰を誘おうか?答えは出なかった。誰かにLINEを送るということもなかった。母親に話しかけたらどうしてあなたはそんなに喋るのかと叱られた。もう二度と誰とも喋りたくないと思った。

授業がなくても遊ぶ時間があるわけじゃないんだよな...と我に返り、以前から気になっていた、しいたけ占いを音読した。夕飯を食べながらプラダを着た悪魔を見た。

 

201019

今日を息も絶え絶えに乗り越えた。

取り組んでいる課題に、広葉樹と針葉樹を描く箇所がある。2つのスケールが指定されている。具体的な種類は自分で決めてもよいのだが、用紙が小さく、広葉樹ならまだしも針葉樹では図面に入りきるような樹木を見つけられない。部分的に描くので十分なのか、木の全体を書かなければ減点されるのかわからない。授業中に聞けばよかった。全体の出来にとっては影響のない、細かい箇所で気に病むのをやめないと。

家庭の雰囲気が重い。

事件があったわけではないのだが、箱ごと沈んでいくような感覚がしてくる。この空気に飲まれてはいけない。まあこの空気なんてものは私の頭の中にしかないのだが。明日はキャンパスに行ける。生まれてからどちらかが死ぬまで付き合い続ける家族と4年間繰り返しすれ違うだけの他人。

温めた牛乳が木について悩んでいる間に冷めた。早く眠るか迷っている。

 

 

200927

寝不足のまま街に出かけた。初めて歩く道を通り、墓地で死後について話した。

今日をどのように切り取るべきか書き出した今でも迷っている。ほとんど幸福のようなものだ。退屈な一日にはひとつしか顔がない。

時系列や固有名詞に身を任せるのが惜しい。人に話せるような内容を文字に起こすのはやめにして、口にするのをためらう言葉を打ちこもう。その言葉を口にせずに済むように。これからはそうやって呼吸していくつもりだ。

200922

一限から四限までキャンパスで授業を受けた。遅刻してしまうかもと心配だったがぎりぎり間に合った。今年度、欠席は数回してしまったけれど遅刻はまだしていない。教室が1階だったのが幸いした。

班に分かれて模型を作るのだが、班のメンバーと上手く話し合いができず、大変だった。誰かの協調性の問題というよりは、相性の悪いタイプが偶然居合わせた状況。人に助けを求めるのもと、自分なりに試行錯誤した結果それはそれは消耗した。一か月程度この作業は続く。気重だ。

昼休みには会話した。同世代の不特定多数との会話。贅沢。

台湾で食べたという小籠包の写真を人に見せてもらった。帰りに寄り道をして衝動的に小籠包を食べた。

 

 

 

 

200730

友人からDMが来た。嬉しかった。

それ以外はだめだった。

私は実家暮らしをしていて、自室の窓のそばにはダイニングのキッチンに繋がる換気扇が設置されている。また父親は喫煙者であり、換気扇の近くで煙草に火を付けるたび副流煙は外に排気され、窓の周りを漂って自室に流れ込む。はじめは少し臭う程度に思っていたのが、自身の不眠に悩まされるようになると、夜中に同じく不眠気味の父親から副流煙が何度も届けられるのを不快に思うようになった。今も昔も、夜に私を訪れるのはこの煙だけだ。もちろん文句を言ったけれど、父親は喫煙し続けた。

地球人が自宅に縛り付けられるようになってから、この問題はますます気がかりになった。私は依存症を笑えるほど若くはなかったので、窓の枠に隙間を埋めるテープを張る、扇風機を窓に向ける等の対策を講じた。それでも解決には至らなかった。今夜もまた煙は流れ込む。明日もまた流れ込むだろう。

 

200723

課題が締め切りに間に合わなかった。だめだ。与えられたことすら満足にできない。意識ある時間も眠っているみたいに過ごす。

昨晩は夢の中で飼っている黒いうさぎが死んだ。うさぎの暮らしているケージを覗き込みながら、私が箸のようなものに火を付けると、箸の先のうさぎが燃えてほんの数秒で亡くなってしまうというものだった。先端部分にあるコバエのような大きさの灰をうさぎの死体だと信じてむせび泣いた。なぜ火を付けたのか、なぜコバエのようなものをうさぎだと信じ込んだのか、行動と意図の流れは理解できないし、遠近感ですら現実をなぞっていない。矛盾を矛盾と思わずに目の前の光景を深く悲しむ。これを私は昼夜を問わず行っている。

そのようなことをペソアが言っていた気がして、不穏の書、断章を読み返した。夢への言及は膨大な数見受けられたが、直接的な表現は見つからなかった。怠惰と離人感が身に沁みて面白かったのだが、共感の程度を測るような品のない読み方をしてしまったとも思う。しかし疲れているのでこれでいい。