ようこそ

仲の良い友人がショックを受けていた。男の子が同級生の女の子に対して可愛い子ランキングを作ることに耐えられないそうだ。彼女は女子高に通っていた。女子高が何から女子を守っていたのか知るときが来たんだろうか。胸が熱くなる。いやそれでも性的な好奇心があれば知ってしまえたと思うけれど、なかったのだろう。なんて素晴らしいことだろう。いつかは私も彼女と同じように悲しんでいたが、それに傷つく自由をいつの間にか忘れてしまっていた。残酷な側面をできるだけ見ないようにする。これはよく生きる、楽に生きる、苦しまないように生きるために有効な手段だが、その深い悲しみは同じ方法でこの瞬間も生まれている。

可愛い子ランキングを作ることの一体何が問題なのか。社会では常に評価を下し下され、部分的には共有もされる。スクールカーストという使い古された語句も身近だ。しかし、スクールカーストとは比べ物にならないほど邪悪に感じるのは、牛肉の等級付けのような非対称性が存在するからだろう。人間は牛を食べるが、牛は人間を食べない。牛がいくら人間に味を評価されることに憤り、人間を評価しようと試みても、人間を食べだしたり、評価基準である「味」を見つけ出したりはしないのだ。

 

土曜の午後

住宅街を抜けた先には池があり、夥しい数のボートが停泊している。辺りには人々がゆらゆらと漂っている。ある一人は強い日差しに立ち眩みがした。

公園は入り口からしばらく通路が狭く、通行人同士は肩が触れ合いそうだった。

低中木から高木が植わった区域に差し掛かると風景は色を変える。炎天下から見る光と、日陰の暗がりから見る光とでは位置的には同じ部分でもその内容は大きく異なる。照る柳と水面の反射のきらめき。木漏れ日の美しさに通ずる、捉えどころのない水と光と植物の神性がたしかにあった。

池には赤いボート、スワンボートが点々と浮かぶ。ご存じの通り、スワンボートは足で漕がなければならないので、びしゃびしゃと音がし、不格好である。漕ぐ人々の気怠さもその音には含まれている。あるスワンボートもまた同様に音がしていたが、中の二人が顔を寄せ合う間は消えた。そして音は再び始まった。向こう岸からは豪奢な、しかし寂れた雰囲気の洋館が彼らを見下ろしていた。

小さなステージと客席にはバイオリンの音色が響いていた。奏者は服装に不釣り合いな帽子を被っている。どこからともなく赤子は泣き出す。別の子供はサッカーボールを手放した。それを拾って返す青年に、子供は感謝の素振りを見せない。

空を飛行機が繰り返し通る。

池は緑色に濁っている。小指ほどの大きさの魚なら住んでいる。

公園の側の酒屋の前にはベンチがあった。他人同士の二人が他人同士のまま酒を飲んでいる。女が煙草を片手に急に屈みこむと胸元にはポルノから飛び出したかような深い谷間が見えた。私は勃起できなかった。

 

 

undo

大きな失敗をしたわけではないのに、取り返しのつかないことをしていると毎日感じる。日常という濁流に飲み込まれていくばかりの自分を他人に正当化しなければならない。どこに行って何をすれば私は間違っていないと証明することができるのか?間違っていたところで今からやり直せるんだろうか。もし間違っていないとしたら?そうしたら、私は何をすればいいのだろうか。見当もつかなかった。

この町の暗渠には悪魔が住んでいて、契約を結ぶとその先の人生は時間のかたまりになるそうだ。

久々に大学に行く。ほとんど人がいない。数人の顔見知りを見つける。私たちはゆっくりと集まる。熱に浮かされたように話をする。笑いが起きる。疫禍の影が冷たく張り付いたまま、笑いは起こる。

外は曇りで、ときどき雨が降る。

教室の窓はたったの10cmしか開かないように設計されている。10cmしか開かない窓に戸惑うことは私たちの中で恒例になっていて、理由に頭を巡らせるもたいてい一つしか思い浮かばず、また別の笑いを浮かべ、目を合わせる。すると、窓の外が監獄から覗く景色に変わり、雨音はいっそう強く響き始めた。

 

210508

ブランコに乗った。少し前にも乗った。別の公園の別のブランコだ。まず軽く地面を蹴り、体を引いて高くを目指す。子供の頃よりも簡単にブランコの揺れは大きくなる。身の危険を感じる程度の揺れに到達する。しだいに頭がぐらぐらして、今手を離したら確実に意識が飛ぶだろうと想像する。そして、ブランコの反復に合わせて足を動かすのをやめると、それまでのリズムを見失い、頭の揺れと相まって気まずい思いが浮かぶ。そばからは手の汗に鉄が滲む匂いが漂う。

思い切りブランコを漕いでしまうと、降りるのは簡単ではない。体を引くのをやめ、地面にその暴力的な反復運動を支える力を逃がさなければならない。おそるおそる地面を蹴る。この瞬間はひどく気まずい。実際に揺れが小さくなるとやるせなく、いざ停止してみると、ささやかな死という気さえしてくる。

ブランコを激しく漕ぎすぎたせいか、生理だからか、エチオピアゲイシャを二杯飲んだせいかわからないが、帰り道に吐き気のあまり何度かえずく。

この公園は自宅から歩いて2分くらいの距離にある。なんとなく不気味で、また歩いて5分もすればもっと立派な公園があるのも相まってなかなか足を運ぶ機会がなかった。細長い形をしていて、日当たりが悪い。晴れている日でも暗い。気が悪い。夜には絶対に入りたくない。

水辺のような小さな堀が見えたので近くに寄ると、一部分に水たまりがあるほかには、すっかり干乾びていた。

横座りをしている幼女の銅像が地面から60cmくらいのところにある。小鳥を膝に乗せ、眉をひそめて誰かを呼んでいる。素人目にも、あまり上手くない。作者・題名は近くに見当たらなかった。

もう来ないだろう。

今日の天気は湿度の高い曇りだった。ポロシャツに太めのジーンズ、新しい黒いスポーツサンダルで過ごした。それは正しい服装だった。

 

210502

何事も経験だ。精神的に成長したんだ。そういった呪文を唱える必要があった。久々に。

詳しく説明すると自他の名誉を傷つけることになるので断片的な描写に留めよう。

ご存じの通り5月2日の東京都は不安定な天気だった。青空のまま雨が降っては止み、強さは時間帯によって様々だった。

せわしなく変化する空模様に合わせてか、人々の話にも一貫性がなかった。

3人組の青年はぼそぼそと呟く。

谷川俊太郎」「詩をよく書く人だ」

またある人が思いついた言葉を口にすれば、通りがかりの誰かが相槌を打った。

いつものことながら、特筆すべきことはない。天国にも地獄にも鏡はないはずだ。

ただ黙っているのは、賢くない人間が賢く装うために最も有効な手段だが、実際のところ賢くないので現実に影響を与えることができず、限りある時間は過ぎてゆくばかりで積み上がるものがない。そう気付いた者から、口を開いたり石を投げたりして、己の無力さを痛感するようになる。彼らの笑いは終わりまで続く。

 

 

A先生へ

 前回は診察に間に合わず申し訳ありませんでした。今日伺うつもりだったのが、間違えて人と会う予定を入れてしまいそちらを優先しました。気が晴れるかと思って人と会う予定を立てたはずが、余計に落ち込んでしまった。会話を続けるのが難しく感じました。この人とは、もし無人島に二人で流されたとしても友達にならないだろうと思います。解散してからというものの、だんだんと私は会話をしたことがないのかもしれない、友達が一人もいない、という気分になり、それから抑うつ状態です。実際には少なからず友達がいるのですが、今その一人が目の前に現れてくれたとしても、上手く話したり笑ったりできないはずです。この精神状態には見覚えがあります。人がこうなってしまうと、緩やかなつながりによって救えるものも救えなくなります。

 誰かと話がしたいという欲求にずっと苛まれてきました。話したことがないのにです。これは自身に降りかかる様々な困難の根源的な問題だと考えています。おしゃぶりのようなものを切に求めています。このうるさい穴に蓋をしたい。

 短い間に起きたことばかり考えても仕方ありません。最後に先生と話したのは11月らしいですが、あのとき何を話したかよく覚えていないです。冬休みに入るまでは普段通り課題を直前に提出してなんとか過ごしていたと思います。同級生とクリスマス会をしました。私は会場選びをしたのですが、とてもよい会場を選ぶことができました。他の人の評判も良かった。場所を貸してくださった店主との交流もスムーズでした。私には会場を選ぶこと、いや、人と会う場を選ぶことが少し向いている気がします。例えば、デートコースみたいなものを決める作業は楽しい。反面、人に選んでもらった場が気に入らないことも多々あり、得意というのは思い上がりで、こだわりが強いために自分で自分の目に入るものを選びたいだけの自己満足なのかもしれません。

 冬休みに入ると緊急事態宣言が出ましたが、課題が忙しかったのでこの頃はそれほど苦痛ではなかったです。二週間ほど授業や期末試験が続いたあと、春休みに入りました。つい最近母が以前働いていた会社の短期アルバイトに応募して、採用されました。来月からたくさん働く予定です。

 最後に。申し訳ないのですが、来年度からもスケジュールの都合上、この病院に通うことが難しくなっています。先生が平日勤務されている他院を紹介していただくか、自宅近くの病院に紹介状等をお書き頂ければと思います。

(T_T)

行いたかったことのごく一部しか達成できず、非常につらかった。空腹を感じる。深い海の底で眠る妄想をして、安らぎを得ようとしたが上手くいかなかった。

日常の些細なつまずきは気にしていても仕方ない場合が多いが、今回はそうではなく、慢性的で、その分向き合って解決する必要のある問題だ。苛立ちを感じなくなるほどこの状態に慣れきるつもりはなく、しかし具体的な方策も思い浮かばない。最近いくつか嬉しい出来事もあったがこの苛立ちはそれらを彼方に押し流してしまった。昨日は楽しかった。来月はクリスマス会があるじゃないか。物理の試験だってよくできた。

一人で過ごす時間が長いほど自己をコントロールできない感覚に苛まれ、誰かに連絡をして声や文面を通して接触を試みるべきだと理性は訴える。そういった手段は経験上さして効果はない。稀にうまく調子を取り戻すこともあるが、本当にごくまれだ。大抵の場合は、この世ではどんな方法を用いても誰とも繫がりようがない事実をひどく見つめるはめになる。あるいは、一人自宅で余暇を過ごすこともできない、限りなく広義でいうところの教養の足りない、弱弱しい自身を責めなければならないような気がしてくる。