211110

駅から大学までの道に変電盤があり、右上に「開発。」と記されている。通るたびにこの句点と目が合う。

今日は良く晴れていた。

試験期間だから大学に人が溢れていて賑やかだった。

最近は不思議と他人と体が触れ合うことに抵抗を感じなくなってきており、さらに不思議なことに対人不安を紛らわす優れた手段なのではないかとさえ思い始めている。もしかしてずっと前からみなはこのことに気づいていたのか?中学時代、手を繋ぎ抱き合う同級生を白けた目で見ていた。彼女たちが交わしていた体温の意味を10年越しに理解するなんて。もう私は踊り場で暇を潰すこともない。保健室で眠ることもない。退屈を教師にぶつけることもない。代わりに、歳の近い同性と抱き合うことができる。久々に人間と抱き合って、本当に温かった。柔らかい体つきにずっと包まっていたいと思えた。

人生がうまくいっていないと家に帰るのが下手になる。帰ったら思い出してしまうから。現実を。過去を。そしてまた先送りにしてしまうから。悲しみが簡単に想像できるから。これからコンタクトを消毒する。この上ない生の祝福の儀式ではある。

211025

 昨晩は懐かしいやり方で空き缶のような心を押し潰していた。午後9時に閉園する繁華街の公園で大胆にも私は体を折りたたむ。眼鏡まで折れそうになったから、顔を上げて近くのトイレに向かう。鏡を見る。いつもより可愛くない。駅に戻る。またトイレに入って休む。真っすぐ帰ることができない。個室の荷物掛けに鞄をかけ、伸びた肩紐に首をつっこむ。膝を曲げると嗚咽が漏れる。隣の個室からは古い洋楽が流れ始めた。お邪魔だったかしら。ふいにつまらなくなり個室を出るが、その場にはまだ洋楽の短いフレーズが響いている。わかる、わかるよ。自殺未遂用のプレイリストがある。

 家に帰ってからはお酒をたくさん飲んだ。睡眠薬も飲んだ。愚痴が口からとめどなく出てきて陽気になった。次の日に目が覚めると、心拍数が普段より高くて、頭は取り換えたように軽く、午前5時だった。まだ眠ろうと思って目を瞑っていたが、難しかったから好きな人のことを考えた。自作の白昼夢の出来はよく、8時50分にzoomにログインするまで、眠気と甘さを楽しんだ。それからも頭は軽いままだ。事態は何一つ前に進んではいないけれど頭は軽いし、体だってそうだろう。

211021

正直に言うと、何もかもうまくいっていない。大学の課題は遅延するわ出さないわ、バイトではミスで怒られまくり、その二つで消耗しきって社交や趣味に割く体力や余裕は皆無だ。提出期限の過ぎた課題が手元に4つある。明日の午後3時までに準備する必要のあるプレゼン資料は白紙のままだ。これだけの負債を返済するにはいくら時間が必要なのだろう?再来週には試験期間が始まる。ボロボロの成績が目に見えている。同じ理由と方法で失敗し続けている。こんな様子だから友達は減り続けている。それって友達だったんですか?とても仲がいいと思っていた友人からは返信が途絶えている。返信とは途切れるものだ。関係とはどちらかが繋ぎとめようとしなければ簡単に消えていくものだ。どちらかが繋ぎとめようとしていても、簡単に消えていくものでもある。

誰もが指摘する。バイトさえ辞めれば楽になる。数か月費やしてしまった時間と築いてしまったささやかな居場所を私は手放したくないのだと思う。ありふれたバイアスだ。その間に作れたかもしれない思い出や失われなかったかもしれない人間関係に未練を抱いてしまうからだ。そして金銭的な不安にも苛まれたくないからだ。尊厳を犠牲にして私は何を求めているのだろう。成績が落ちれば志望する研究室に行けなくなるというのに。恐るべきことに自分が何を志望していたのか忘れつつある。

若い感性だからこそ記憶に刻まれる、かけがえのない風景、に出会えたんだろうか。旅でもしていたら。美しいものを見ていない。面白いものも。自分の言葉で語ることもない。書き間違えと読み間違えを繰り返す、眠って謝って食べて泣いているだけの毎日。

バイトにのめりこむ大学生のことを馬鹿にしていたが自分がこんなことになってしまうなんて。いや大してシフトには入っていないのだけど自分の能力では課題と両立するのが無理だった。少しがんばれば、と思っていたけど無理。やっぱり理系の大学生活はきつい。課題がきつい。模型がきつい。理解できない。興味もない。働きたくない。もう考えたくない。限界。やめずに立て直したい。だれか。だれか。

 夏の間、仕方なく働いていた。休みではなかった。将来のためにしようとしていたことはできなかった。いつのまにか、また一つ歳をとっている。休日は夕方まで眠って、寝間着から着替えずに一日が過ぎる。運動がしたかった。旅行がしたかった。研究室や進路について考えを深めたかった。しかし何もできなかった。思い出の代わりにわずかばかりの給料が振り込まれたが、ただ生きていくためにつまらないものに消えるのだろう。バイト先の社会人から向けられる学生への哀れみの目に慣れた。

 平凡な考えから、このパンデミックをないものと思おうとした。いくつかの方法を試した。無理だった。東京から出ていないからというのもある。高校生の頃によく利用していた公園に夜久々に立ち寄ると、警備員が集団で利用者を追いやっていた。帰ってください、と叫ぶ声。バイトが終わる時間に大抵の店は閉まる。くたびれた頭で、足で、開けている店を探すのも一苦労だ。休日も、疲れの取れる夕方から支度をしていては同じことだ。友達と会う約束を立てるのがだんだんと億劫になって、今となっては予定が一つもない。懐かしく、馴染みのある光景だ。暇つぶしに小説を読む、映像を見る。ときどき感情が刺激されるが、新しいものはない。

210810

首が痒い。腕の関節も痒い。焼酎を飲んだ。有名な韓国の焼酎。チャミスル。言葉の響きが軽い。若者にウケるのもわかる。

春から夏に変わる間、韓国好きを自称する今風の青年と出会った。何度か話をした。大学の中で話していても公道で話していてもなんだか気が抜けない。緊張とも異なる違和感がある。大丈夫か俺?大丈夫か私?「ひろゆき」をさん付けで呼ぶ。眩しい。彼は目付きが悪くてなかなかセクシーだ。自分と同じく浪人をしていて同じ学年で同い年。連絡先も交換した。しかし返信がめちゃくちゃ遅い。どう楽観的に見積もっても脈がない。息も絶え絶えに続いていたLINEは先日途切れた。

彼が持っていたのと同じスペックのiPad Proを自腹で買った。いくつも落ち続け、ようやく採用されたバイトで必要らしい。もしかしてこれって騙されているのか?

夏休みは働きづくめで、満足に遊べそうにない。インスタには親しくもない同級生の旅の様子が刻々と投稿されている。明日も働いて、昼休憩に誰かの旅先の写真を眺めるはずだ。旅の予定を立てればよかったじゃないか。大学二年生の夏休みなんて一番楽しいだろうに。無理解な年寄りは言う。

今日は珍しく休みだった。楽しみにしていたフェスが中止されたことを思い出してバーミヤンで泣いた。

 

210702

ぬるくてぼんやりした一日だった。退屈だったし頭が働かなかった。懐かしい方法で積分した以外には頭を使わなかった。しりとりさえ満足にできなかった。言葉はたどたどしく、伝えたいことを伝えられず、伝えるべきでないことを伝えていた。

一日中雨だった。今も雨だ。

屋外での実習で雨に半日濡れてからというものの雨に濡れることをそれほど恐れずに済むようになった。頭部が濡れると容姿が著しく劣ってしまうのではないかと考えていたが大して変わらないものである。

馴れ合うために大学に行った。馴れ合うことはできなかった。ただ人が集まれば馴れ合えるわけではない。私はさまざまなゲームをプレイしなければならなくなった。ゲームに勝つための回路は錆びきっていて、無理やり動かそうとして軋む音が聞こえてくるかのようだった。競争から逃げた十代を思い出す。私は競争から逃げた結果社会からも遠ざかった。社会に戻るとは競争に放り込まれるということでもある。競争から逃げた結果何をしていたか?自らを傷つけ、傷を癒すために毒を食らっていた。

大学の中には何かあるのではないか、他人の中には何かあるのではないか。物心ついてから素朴にそう信じてきたのが、終わりを迎えようとしている。また新たに代わりを信じ始めるのだろうか。それともあるいは。

相手の発言が自分の中に堆積されない会話の、雲を掴むような感覚。足のつかない水辺に辿り着いてしまったときの焦り。

シロノワール、ミニシロノワール、目的

日曜日にコメダ珈琲に行った。渋谷駅から真っすぐに道玄坂を上り切って首都高が大きく空に架かるところ、小さなアパホテルに隣接するコメダ珈琲だ。昼時だったけれど、自分の遅刻のせいでまともな食事をする時間はなかったので、そこそこ立派な軽食を求めていた。コメダが見えたあたりからぼんやりとシロノワールが頭に浮かんでいたが、メニューを見て期間限定の商品と食事に目を通したあと、やはりシロノワールに決めた。そして、連れの友人はミニシロノワールに決めた。ミニシロノワールを食べる人の前でシロノワールを食べることは、道義に触れるような気がして、時間がないのに注文を躊躇った。そうは言っても他に食べれるものがなかったし、ミニにしたらお腹が空いて悲しくなるだろうと思ったので、仕方なくシロノワールを頼んだ。ある人と食事をする。それは決断の連続だ。

飲食店でランチをするとき、分け合う前提もない関係性で、同じメニューを頼むのに抵抗はあるだろうか。あったりなかったりすることだろう。問いかけの逆の役割を演じること、いつの間にか演じていること。先月はジュリエットだったのに、昨日はロミオだった。会話における役割の相対性。

シロノワールとミニシロノワールが実際に運ばれてくると奇妙な満足感があった。

シロノワールを食べ始める。後半は苦しかった。柔らかなパンを口に押し込む。思い返すと、あの人工的なサクランボを食べ忘れたような気がする。

ここ最近、誰に何を話したか記憶できなくなってきたので、「これ話したかな?」と事あるごとに聞きながら何かを話した。もう思い出せない。面白くない話をしているのは確かだった。面白い出来事などない。思い出される出来事と思い出されない出来事があるだけだ。

友人を目的地まで見送り、一人で坂を下って三十分くらい歩いた。昼の繁華街に閉じる無数の扉、これまでもこれからも開けることのない扉の向こうを見ようとしていた。渋谷は苦手だ。しかし、かつてはそうではなかった。